国内で語学を学ぶことと海外で語学を学ぶことについて
海外に行かず、国内だけで英語を学んだという知り合いが結構周りにもおりまして、一緒に仕事をしたことのある通訳ガイドの方でも、日本国内だけでほとんど学んだという人がいます。
国内でも語学は身につけられる
国内外限らず、どこにいても英語力は身につけられると思います。都会に限らず、身に付けようと思えば、地方であっても、語学は身につけられると思います。
世界中の情報がパソコンの画面を通して手に入れられるこの時代ですから、教材は比較的手に入りやすいですし、また、海外にいても伸びない人は伸びないですし、場所は関係ないと言えばそうなのかもしれません。
きれいな英語にこだわり過ぎな気がする
ただ、教材にもよるのだと思いますが、日本国内に住んでいて語学を学んでいる人の多くは、きれいな英語にばかり触れている気がするのです。
きれいな洋楽、きれいな発音、きれいな文学的な文章にたくさん触れていて、美しい英語を話し、美しい発音を聞いていると思います。(映画に関してはそうではないかもしれませんが。)
生徒に海外留学をしてほしい理由
私は特に、生徒たちや若い語学学習者に対して、できれば年単位で海外に行ってみてほしいなあと、常々思っておりまして、理由としては、生の英語に触れて、生きた語学学習をしてほしいな、ということです。
海外に行ってみると、(私もそんなにたくさんの国に行ったことがあるわけではないので偉そうなことは言えませんが・・・)
少なくとも、アメリカにしばらくいた時の経験からすると、“She don't ~”とか平気で文法ミスしながらコミュニケーションする人々や、スパニッシュなまりの強い英語、アジア系のなまりの強い英語、汚い(←「下品な」という意味)英語、フランクなくだけた英語、どうやって聞きとったら良いかわからないあちこちの強いなまりの英語、いろいろな英語が混在していて、それでもコミュニケーションとらないといけません。
きれいな英語での会話がいつでもまかり通るわけではなく、辞書など引いている暇もありませんし、その場で臨機応変に何とかしないといけませんので。
だから、いかに分かりやすい伝わる英語を話すかが大事な気がするのです。
生徒や若い人々には、そういう身体で覚える経験をしてほしいなと。新しいことにチャレンジする時、自信が増えるらしいですね。いろいろな英語に触れて、気持ちや意見をなかなか伝えられないもどかしい経験をして、悔しい思いもたくさんして、そして、成長して自信をつけてほしいなあと常々思っています。
結局は自分に対する厳しさが全てのような気がする
話は変わりますが、「これでいいや!」と妥協するラインがどこなのか、がその人の仕事の質を決める気がするのです。「私はここでは終わらない!これでは面白くない!」とこだわる人は良い仕事をする。
仕事でなくても、たかがスピーチ1つをとっても、たかが与えられた宿題1つをとっても、どこまで手を抜かずに仕上げるのか?というところから、その人の人柄がわかる。
この辺で良いかな、と思っても、いやいや、このままではもの足りないからもうちょっと工夫しよう、と思える心の態度、それが、質の高い仕事をするには欠かせない要素だと思うのです。クオリティの高い仕事をされる人に出会った時には、特にそう思います。
どこで自分に妥協するか、とことんこだわって納得いくまで追求するタイプか。
なんというか、自分で納得のいくラインが仕事の質を決める気がする。
語学力はもちろんのこと、たかがスピーチ一つとっても、宿題1つをとっても、全部、心の態度が現れるし、人柄が現れるなあと思う今日この頃です。